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増水で渓流釣りあきらめて上高地探索記。穂高連峰は素晴らしい。

投稿日:

夏の終わり、奥飛騨に渓流釣りの合宿に友人らと参加。


翌日、川に行くも、テンカラでは、増水で釣りになりそうにない。


というわけで、サクッとあきらめて、天気も良かったので上高地探索。


Yamapは、こちら


まずは車であかんだな(平湯)の駐車場まで。


上高地は、通年マイカー規制なので、バスで上高地へ。


大正池までバスで登ります。




コースガイドは、こちら



上高地帝国ホテル





梓川沿いをぼちぼち上ります。


田代橋から。





晴天





ウェストン碑





日本近代登山の父、W・ウェストン
梓川の辺り、霞沢岳、六百山を望む巨岩に一人の男のレリーフがある
彼が初めてこの地を訪れてからおよそ130年
山を愛し日本を愛し、そして上高地を愛した異邦人は
日本近代登山の父として
世界一と讃えたその峻険を永遠に見つめ続ける

河童橋から徒歩約20分。霞沢岳と六百山を望む梓川のほとりに、英国人宣教師ウォルター・ウェストン(1861-1940)のレリーフ(浮彫胸像)があります。氏は登山家として日本各地の名峰を制覇し、明治24年(1891)上高地にも訪れて山案内人・上條嘉門次とともに北アルプスに挑みました。
そして明治29年(1896)、著書『日本アルプスの登山と探検』のなかで上高地の魅力を世界に称賛しています。「楽しみとしての登山」を日本に伝えた功労者として、日本山岳会はその栄誉を称えるとともに氏の喜寿を祝って、昭和12年(1937)梓川沿いの広場に額面型のレリーフを掲げました。ところが第二次世界大戦が勃発。敵国となった英国人のレリーフはわずか5年余りで取り外されてしまいました。
(HPより)



河童橋





上高地のランドマーク、絶好の展望
標高1,500mの山岳リゾート・上高地
周りの風景と調和するその木製の吊り橋は
雄大な穂高連峰とともに
訪れた人々の記憶に深く刻まれる

上高地のシンボルともいえる河童橋。人工物でありながら、その姿は大自然と融合し上高地に欠かせない風格のある存在となっています。橋の上からは雄々しくそびえる穂高連峰や岳沢、清冽なる梓川の流れ、陽光に煌めき揺れる川辺のケショウヤナギやカラマツ、そして振りかえれば時折噴煙たなびく焼岳が展望できる絶好のビューポイントとなっています。
4月27日の開山祭から5月の連休にかけて、あるいは7月中旬からの夏休み期間、そして10月上旬あたりからの紅葉の時期など、最盛期ともなれば河童橋周辺は〝上高地銀座〟と呼ばれるほど多くの観光客で賑わいます。

最初の橋はいつ頃架けられたのか定かではありません。河童橋はかつて梓川の両岸から木材をせり出すように架けられた跳ね橋でしたが、明治43年(1910)に吊り橋となりました。老朽化に伴いその後、昭和5年(1930)、昭和32年(1957)、昭和50年(1975)と架け替えられています。現在の橋は平成9年(1997)に架け替えられた5代目の吊り橋です。
小梨平にある上高地ビジターセンターの入り口付近には、架け替えで取り外された2代前の河童橋の欄干が設置されています。

河童橋という名前の由来には「その昔、ここに河童が住んでいそうな深い淵があった」とか、「橋のなかった時代、衣類を頭にのせて川を渡った人々の姿が、河童に似ていた」など諸説あります。芥川龍之介(1892-1927)が昭和2年(1927)に発表した小説『河童』のなかで、上高地や河童橋が描写されていることで、その名が広く知られるところとなりました。
架けられた時期も、なぜ河童橋というのかもわからない謎の多い橋ですが、上高地の象徴として人々の心に印象深く刻まれています。
(HPより)



穂高連峰







アルピニスト憧れの峰々
槍、穂高、3,000m級の険しい山々が連なる北アルプス
日本近代登山の歴史はここから始まった
穂高連峰があるかららこその上高地
見上げる峰はアルピニストの憧れという名にふさわしい
威厳と風格を漂わせる

上高地のあらゆる場所からその姿を望める穂高連峰。梓川沿いの遊歩道も、穂高から見て右岸・左岸に区別されています。上高地は、穂高連峰があるからこそ上高地だともいえます。
北アルプスの最高峰は日本第3位の高峰でもある奥穂高岳(3,190m)で、前穂高岳(3,090m)北穂高岳(3,106m)西穂高岳(2,909m)などが主なピークとなっています。また、奥穂高岳は日本百名山・新日本百名山に、西穂高岳は花の百名山に選定されています。
日本を代表する岩壁が揃う穂高連峰はアルピニストの憧れであり、近代アルピニズム発祥の地として国内で最も高い人気を誇っています。上高地から見上げる峰々は憧れという名にふさわしく、威厳と風格が漂う名峰です。

日本近代登山の父、ウォルター・ウェストンが上條嘉門次を山案内に、穂高岳に登頂したのは明治26年(1893)。ふたりの初対面では、悪天候で穂高岳登行の先を急ぐウェストンと、悪天候であるがゆえにこれを拒む嘉門次の意見が食い違い、感情的な対立があったと伝わります。
しかしその後、ふたりは何度も山行を重ねる中でお互いの絆を強めていきました。特にウェストンは嘉門次の山行技術と的確な判断を認め、信頼は極めて深いものになったといいます。彼の著した『日本アルプスの登山と探検』のなかで、嘉門次は「ミスターカモンジ」として登場し、世界へその名を発信しました。明神池ほとりに佇む嘉門次小屋の囲炉裏には、嘉門次が愛用した猟銃と共に、友情の記念としてウェストンが贈ったピッケルが飾られています。穂高岳の登山で芽生えた友情は今も、上高地に広く伝わっています。▲奥穂高岳(3,190m)北アルプスの最高峰で日本第3位の高さを誇る。山頂には日本アルプスの総鎮守・穂髙神社の嶺宮が祀られている。

▲北穂高岳(3,106m)穂高連峰の最も北に位置する厳しい難所。西面には「鳥も通わぬ」といわれる滝谷の岩場が剥きだしている。
▲前穂高岳(3,090m)奥穂高岳と吊尾根で結ばれた岩と雪の急峻な峰。裏面の奥又白谷の奥にそそり立つ前穂東壁は「ナイロンザイル事件」の舞台。
▲西穂高岳(2,909m)穂高連峰の西端に位置する険しい岩場の大きな山体。河童橋からは稜線の左端に見える。
▲明神岳(2,931m)穂高連峰の東端に位置し、河童橋からは稜線の右端に見える。最も険しく崩れやすい岩場が続く大きな山体。(過去名は穂高岳)

■岳沢 河童橋から正面に見える穂高連峰中腹の溪谷。前穂高への急峻な登山コース上にあり、ここまでの軽登山も人気。途中、上高地を見下ろせるポイントや岳沢名所の風穴がある。
■涸沢カール 吊尾根の裏側にあり、圧倒的スケールで眼前に迫る周囲の穂高の山々は初夏でも残雪が多く、雪どけの斜面に咲く高山植物も楽しめる。紅葉シーズンは、テントがひしめき合うほどの賑わい。
(HPより)




とてもきれいですね。





明神まで





山々がきれい





明神岳真下、花々と野鳥に満ちた休息の地
徳本峠の入口にあたる、早くから開けた歴史ある明神
W.ウェストンも芥川龍之介も、高村光太郎もこの地を目指し
目の前に迫る明神岳の山容に
感動をかみしめた

河童橋から梓川沿いを上流へ1時間ほど歩むと、ニリンソウの群生が美しい明神に着きます。ここ一帯は眼前にそびえる明神岳をご神体とした穂髙神社奥宮の神域です。喧騒をほどよく逃れた明神は山野草や野鳥の種類も豊富で、ゆっくり散策したい方にはおすすめのスポットです。
徳本(とくごう)峠へと続く白沢出合辺りでは、オオバキスミレやコチャルメルソウ、山裾の斜面ではシャクナゲの花も見られます。

標高2,931mの明神岳は、立つ稲穂のように鋭く「穂高明神の為の山」という意味で、かつて穂高岳をさす言葉として使われていました。その昔、上高地へは峠(現在名・徳本峠)を越えて入山するのが常であり、峠を越えた到着点は穂高を見上げる明神の地(過去名・徳郷)でした。この地でアルプス鎮守の神・穂高明神岳を目の当たりにした人々は、神々しく見つめて崇拝したに違いありません。江戸時代の「上高地」は現在の明神地区を指していました。
現在の明神岳は、穂高岳という大きな山体名が、昭和時代になって明神岳と前穂高岳とに分かれた名称です。明神からは明神岳のみが見えます。今も麓の明神地区には穂髙神社奥宮が祭られ、多くの人々に信仰されています。

河童橋から明神までは、梓川左岸を上流に向かい1時間弱の道のり。途中小梨平の上高地ビジターセンターに立ち寄れば、上高地の花や昆虫・鳥の資料、歴史などを学べます。六百山の急峻な山裾が迫る山道を進み、小さな上り下りの道を歩めば明神へと到着します。5月中旬にはニリンソウの群生、5月下旬~6月頃には小梨の花やエゾムラサキ、ミヤマザクラが明神一帯に咲き誇ります。
左手にある「穂髙奥宮・参道」の標柱を、明神岳の真下にまっすぐ進んでいくと明神橋。橋の手前は絶好の撮影ポイントの一つで、明神岳最南峰を見上げる景色は圧巻です。橋を渡れば、神秘の造形美で魅了する明神池へと続きます。嘉門次碑を過ぎた先の穂髙神社奥宮を参拝し、神社の趣深い神秘の明神池(拝観料・大人300円)を眺めたら、梓川右岸の遊歩道を下り岳沢湿原をめぐって河童橋に戻るのも良いでしょう。
(HPより)



明神神社





端を渡ります。




明神池




神々しいばかりの自然の造形美
くるりと囲んだ青い針葉樹
計算しつくされたように湖面に顔を覗かせる岩々
背景にそびえる明神岳が落とす夕刻の影…
それはまさに神域にふさわしい
自然がつくった造形美

明神池に行くには二つのルートがあります。一つは河童橋から梓川左岸を上流に向かい、小梨平やビジターセンターを過ぎて明神岳最南峰を望む明神で一息入れた後、明神橋を渡って明神池に行くルート。
もう一つは、河童橋から梓川の右岸沿いを上流方面へ徒歩1時間強のルート。岳沢湿原を通り過ぎ、梓川に架かる明神橋の手前、熊笹に覆われた遊歩道を左に折れると、明神池に到着します。
穂髙神社奥宮の境内にある明神池は、一之池と二之池の大小2つからなる池で、遊歩道脇には三之池もあります。梓川の古い流路の低地に明神岳からの湧水がたまってできた池で、常に伏流水が湧き出ているため、冬でも全面凍結しません。透明感あふれる水面には澄み渡った空が映り、静寂が広がります。カラマツの森に囲まれた池の頭上にそびえる明神岳最南峰、イチョウバイカモの水中を優雅に泳ぐイワナやマガモ、二之池に配された岩石群は自然による造形美そのものです。

明神岳の岩壁直下でいっそう神秘的な静けさを漂わせる明神池は、穂髙神社の神域で古くは「鏡池」とも称され、早朝は晴れの日も雨の日も靄(もや)が出やすいところです。
明神池の畔に鎮まる穂髙神社奥宮の御祭神は「穂高見命(ほたかみのみこと)」で、北アルプスの総鎮守、海陸交通の守り神、結びの神として鎮座します。上高地明神付近は古くから、神合地、神垣内、神河内などとも呼ばれ、神々を祀るに最もふさわしい神聖な場所とされてきました。安曇族の神・穂高大明神が降臨されたとも言われる穂高岳。穂高連峰の最高点・奥穂高岳の頂上には嶺宮も造営されています。

毎年10月8日、御船神事として穂髙神社奥宮例大祭が行われます。山の安全を神に感謝するお祭りで「明神池お船祭り」とも呼ばれています。
神官による祝詞、巫女による舞が奉納された後、平安装束に身を包んだ神官らが龍頭鷁首(りゅうとうげきしゅ)の2艘の御船で明神池を周遊します。雅楽の調べの中、荘厳で神秘的な明神池で繰り広げられる光景は、さながら平安絵巻のようです。
黄金色に色づく針葉樹林に囲まれた明神池、山肌のダケカンバ、カラマツの黄葉。上高地の秋がいよいよ本番を迎え、彩を増していきます。

※鷁(げき)とは鵜に似た白い大型の水鳥のこと。中国の想像上の水鳥で、風波を恐れず逞しく飛ぶところから水難除けとされる。
〇拝観料/大人300円・小学生100円(*例大祭式典中は無料)
(HPより)




戻って、河童橋まで





上高地バスターミナル




全く登らない山登り、楽しい休日でした。


活動データ


タイム 02:44

距離 9.8km

上り 190m

下り 183m

カロリー 1044kcal





















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